日々何かしら成長していたい

このブログも振り返ってみると、はや9か月目に突入していました。

見て頂いている皆様、大変感謝しております。本当にありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。

 

ふと、このブログっていつから書きはじめたんだっけ?と思い、記事を遡ってみると最初の記事が、2017年1月で、いつの間にか結構な時間が経過していた。

当初は、辛い現実を変えたい。絶対脱出してやる。そのためには、今までとは違う何かをして自分自身を変えたい。という思いでこのブログを開始したが、今もその思いは変わらず。浅い考えしか持ち合わせてはいないが、これからも自分の思った事は意思として発信し続けていきたいと思う。

 

今は、毎日何かしら成長していたいという気持ちが非常に強いのだが、昔はそんな気持ちは毛頭持ち合わせていなかった。

平日は、仕事に疲れ夜遅く帰宅し、それと同時にベッドへダイブイン。気付けばいつの間にか電気を点けっぱなしで寝てしまい、深夜3時頃に電気が点いている事に気付き、起きて消して再び就寝。そして、満足に睡眠で疲れを取る事が出来ないまま次の出勤を迎え、またそれの繰り返し。毎日、土日のために生きていた。

しかし、その待ち望んだ土日で特に何をするわけでもなく、シモいサイトを狂ったように漁り、性欲をなだめる事を習慣としていた。その、性欲の嵐が過ぎ去った後に、何やっているんだ。。というとてつもない虚無感と後悔。

これではアカンとWii Uスマブラを購入。何か他の事に打ち込めば、右手の運動会も中止になるだろうとやりこみ始めるが、結局無駄に終わる。

大事な土日ですら何の成果を得ることも無く、ただ残酷に着実と時は過ぎ去っていった。

 

今考えるとクズみたいな生活をしていたなと思う。

 一人でふと温泉へ出向き風呂に浸かりながら考えた。

そして、『俺って学生時代から何一つ変わってない』という事に気付いてしまった。

歳と体だけ大きくなって、中身はスカスカで何にも成長していなかった自分にひどく失望した。

職はあったもののほぼニートと同様。ニートと比べる方が失礼に値するような生活をしていた私は変わらなければまずいという危機感に包まれた。

それからというものの、平日で仕事が遅くなってしまっても、毎日本は必ず読む。ニュースを見て世界情勢や知見のある方のブログ等に目を通す。日本語以外の語学を学習する。今までやった事が無い新たな事に挑戦し自分自身の経験とする。

という様な事を少しずつではあるが増やしていき毎日欠かさず継続してきた。

やはり、何かしらやる事があると毎日が大変充実する。

何も持っていない自分に毎日少しずつ充実感を足していく。 ボールへ空気を入れて膨らませていくように。

その充実感こそが、人を成長させるのではないかと思う。

 

 

『毎日毎日が同じ事の繰り返しで本当に楽しく無いんだよな~』という人がいると思うが、それは自分のせいだと思う。会社のせいでも、友達・家族のせいでも何でもない。

自分で何か行動を起こさなければ一生そのまま。ただひたすらに時間を浪費するだけ。

過去は変えられないが未来は今の自分次第でいくらでも変えられる。

過去の自分を内省することで、これまでの自分のレベルに気付く事が出来、変わるきっかけにすることが出来る。

 昨日の自分より明日の成長した自分に出会いたい。

この思いを忘れずに日々少しずつだが精進していきたいと思う。

仕事の辞め時

私事なのだが、数か月間長時間残業が続いてる事で結構身体的にも精神的にも厳しい状態になってきた。

一体私は何の為に仕事をやっているのか、という事を最近頻繁に考える。

生活していく為というのはもちろんあるし、家族を養っていかなければならないというのも働く意味の中に含まれてはいるのは、他の誰よりも自分が一番分かっているつもりだ。

でも、何かが違う。頭では、働く理由を自分で言い聞かせてそうしなければならないように自分自身をまとめあげているような気がする。

でも、それを心が抵抗している気もする。

両者が一致していなければ、それは今後ずっと続けたい仕事ではない。

では、その仕事をすぐ離れればいいではないか、という話になってくるが、それはまた違ってくる。

それでは、ただ嫌な事があったからといって逃げているだけである。

その嫌な事を克服するため一体何をやったのか。

退職という道を選択する前に、辞めても後悔しないぐらい本気でその仕事に打ち込んできたのか、自分自身に問いかける事が必要だ。

その努力を怠っておいて退職してもまた転職先、もしくは新たなビジネスの場で同じ事を繰り返すだけである。

仕事の辞め時というのは、自分が努力して努力し尽して、仕事が楽しく回りだした。もしくは、努力してもどうにもならなかった。

それが訪れた時が、そこを離れるGOサインなのではないかと思う。

ただし、例外として極度のパワハラや肉体的精神的問わない暴力を受けている時は、即座に行動に出てもいいと思う。それを我慢してまで、働く意味はどこにも無い。

とりあえず、目の前の事に集中して頑張ってみることにする。

 

 

自己啓発本って

要らなくね?

私は、今まで自分を変えたい一心で書店に出向いては自己啓発本を漁りに漁り返して漁り上げてきたが、とうとうやっと時間の無駄だった事に気付いた。

かなり遅いし、遅すぎる。

自己啓発本を読んでいる人に対してのディスりとかそういうものは微塵も持っていない。

ただ、私自身の頭がそう感じているだけなので誤解なさらないようにお願いしたいという事は強く断っておきたい。

何故、自己啓発本を控えたかと言うと、変わりたいと思って本を読んでいる時間が勿体無いと思ったから。

変わりたいと思ったならそうするために自分に働きかけてその時点で変わればいいじゃん。わざわざ本読まなくても良くないかと感じたのである。

自分を変えたいという思いは必ずしも誰もが持ち合わせていると思っているし、それは誰もバカには出来ない非常に大事な事だという事は理解している。

変わりたいけど変われないから読んでいるんだという意見もあると思うが、それもそうだと思う。

でも、それでその本を読んで変わった人いる?

居るには居るだろうが、大抵がああいい本だったな〜本トジトジで終わりだと思う。

本気で変わりたい人は、わざわざ一回本を挟まずに変わるために何かしらの何かを実践するし、何度も挑戦して自分の血肉として活かしていくじゃないだろうか。

とにかく、何でも経験あるのみ。

失敗しても次に活かして成功体験を少しずつ積み上げていくことが、自分を変えるためにより大事な事だと思う。

虫混入事件

今年は本当についてない。ついてなさすぎる笑

 

詳細を説明しますと、

妻と友達2人の計4人で広島の宮島へ観光へ行く。

宮島から1時間程離れた山奥の旅館に泊まる。

そこで、夜ご飯を食べる。

就寝後、夜中3時ごろに腹痛で起き、下痢。(この時は、ちょっとご飯食べ過ぎたかなと思っていた。)

朝起きて、朝ご飯を食べる。

白飯の中に体調2ミリ程度の甲虫が入っていた。(←は?)

今度は、焼き魚の裏に3ミリ程度の生きている子蜘蛛が出てくる。(←ここの旅館の衛生管理どうなってんだまじで)

でも、わざと混入させる様な旅館なんてあるわけないし、勝手に入る事もまああるだろうなしょうがないと思って旅館側には何も伝えず、そのまま旅館をチェックアウト。

その帰り道の車の中で、滅茶滅茶気持ち悪くなり嘔吐。

そこから一週間歩いたりして体が揺れるたびに胃が痛い、息を吸うたびに右胸が痛い、頭が痛い、食欲不振が続きました。

 

虫入ってただけじゃなくて、飯そのものが絶対腐ってるだろこの旅館、、。

一匹ならまあ分かるけど二匹もいるか普通笑

じゃらんで調べてみてこの旅館に決めたんですけど、やっぱりレビューは結構信用した方がいいんだなと思いました。

他に泊まる所が無くてしゃあなしでそこに泊まったんですけど、確かに全然いいレビューが書いてないし、タオルがカビ臭いとかそんなんばっかで、やっぱりかって感じでした。

 

皆さんもどっか泊まる時は、一通りレビューに目を通してから宿の選択をしてくださいね笑

上下関係を無駄に重んじる奴ほどアホ

皆さんの周りにもいないだろうか。

後輩にはとことん偉ぶってるやつ。

言葉遣いから時間の厳しさ、その他事細かに自分の奴隷であるかのように命令し、下らない事で優越感を感じているアホ。

後輩が1分1秒でも遅れると、狂ったようにキレまくり、罵倒しまくる。

確かに時間に遅れる事は、人の時間を奪う事であり、怒られても仕様がない部分も大いにある。

しかし、今度は逆に先輩が遅刻すると「ああ、すまんすまん笑」だけ。

は?あんだけキレまくってたくせに自分はそんなかよ。土下座しろっていう気持ちが芽生える。

普通に1時間とか遅れたり、下手するとまだ寝ているなんて事もザラだったり。

それが、当たり前になり過ぎて謝りもしないなんて事も。

ただ、生まれるのがちょっと早かったくらいで偉そうにしないでほしいし、偉そうにするならそれなりの事を自分もやってからにしてほしい。

自分はやらない癖に人には強制するのは余りにもおかしい。

行き過ぎた事を強制してくるやつに限ってそいつは実質大した事ないという人が多い。

そういう奴は余り関わらないようにした方が良い。距離を置こう。

自分が違和感ない程度にまで遠ざけた所がその人との心の距離感。

無理に近づき過ぎて自分を知らず知らずに痛めないようにしよう。

 

働き方改革は弱い

電通の新入社員過労死自殺という事件が起こってから、国レベルで企業に対する残業時間や勤務方法等に関する内容について「働き方改革」という事で推し進められている。

今までこれが私の企業では当たり前なのだと見て見ぬ振りをしてきた働き方について全ての経営者や労働者が考え直さなければならない。

これまでに数々の施策を各企業が行なっているようだが、ほとんどの企業が表面的なものに過ぎないと思う。

外面は「働き方改革!これこれこういう施策を行います!」と上の地位の者がただ宣言しているだけで、施策を実行するかしないかはそれぞれの現場にお任せしますというのが実態なのだ。

こういう外面だけの宣言を立派にするところに限って人手が足りていなかったり、会社的に根の深い問題が潜んでいる。

例を挙げるとその中には、これから入るであろう新入社員へのアピールも含まれているだろう。

この会社は、こういう働き方改革をしているのか。なら入って仕事してみたい。と思わせ、実際は以前と何も変わらない過酷な労働環境のまま。

辞める人間も考慮して、数百人単位で採用し、出身地が遠かったり、メンタル的に仕事を辞められない人だけが必然的に会社へ残るようになり、駒となり働かされる事になる。

他にも問題として、サービス残業パワハラ等が挙げられるが、これらが常態化している企業にとっては各企業が行なっているような働き方改革は非常に弱い。

早急に制度化を進めなければ、多数の尊い命が老若男女問わず失われてしまう。

労働ごときで、人の命が奪われていいわけがない。

労働者全てが幸せになる改革となる事を心から願いたい。

 

 

 

 

 

睡眠は死後の世界と繋がってるんじゃないだろうか

なんか最近睡眠は死後の世界と繋がってるんじゃないだろうかと思うようになってきた。

眠る直前までは意識は確実にある。

眠り始めると意識が無くなる。

眠るたびに人は無意識に死んでいるのではないだろうか。

 

睡眠中の夢もまた死後の世界に深く通じていると思う。

そもそもなぜ人は、睡眠中に夢を見るのだろうか。

一般的には記憶の整理等、様々な仮説が立てられている。

私が思う睡眠中の夢は、恐らく、自分の死後の世界から見たこれから体験するであろう自分自身の体験を昔を思い出すように鑑賞しているのではないかと思う。

だから、正夢にもなったりするし、デジャブを感じたりもする。

死んだ人や、飼っていた動物にも夢の中で会ったりする事もある。

夢は死後の世界と繋がっているから会うことが出来るのではないだろうか。

 

また、現実ではあり得ない事も夢では起きる。

これは、死後の世界で自分自身が実際に体験している事をそのまま映し出しているのではないだろうか。

 

 と、入浴中にふと考えたのでした。