ココのブログ

自分の道を歩む。

上司の何気無い命令から気付いた習慣力の凄さ

前の仕事を辞め、新しい仕事を始めてから8か月が経とうとしている。

年を取るにつれて時間の進み具合が異常にハイスピードに感じるのは私だけだろうか。

こうしてあっという間に大切な時間が過ぎ去っていくんだなあ。

そう思うと、1日1日を大切に生きねばならない。

なんて思ったことは無い。

 

 

それはさておき、会社の上司と冗談を言い合えるぐらいの仲にまで親交を深めた半年前のある日のこと。

上司「めっちゃいきなりだけど筋トレやらない?おれも毎日やるからさ。一人ですると続かないんだよね。だから今日から腕立て伏せ20回ね!これ強制だから!」

丁寧に下からお願いしに来たかと思ったら、話を聞いていくうちにどんどん権力を振りかざしてくる中年男。

やらなきゃ意味ないよと言わんばかりのプレッシャー。

そう思いながらも筋トレ自体には抵抗は無い。

むしろちょっと面白そうという気持ちの方が勝っている。

その日の仕事終わりに腕立て20回を行った。

そう。この日から筋トレは仕事という法律が出来上がったのである。

 

 

腕立て伏せを行う時間は会社の始業前、終業前の2回。

計40回の上下運動を行うことになる。

たかが20回なんてと思っていたが、時間を掛けて負荷を与えるとめちゃくちゃきつい。

日頃の運動不足と相まって筋繊維を破壊しに来る。

その日からしばらくは筋肉痛に悩まされる日々が続いた。

 

 

そしてついに自分の意思が試される日が来た。

上司が朝から出張に行ったのである。

「監視の目も無いし別に筋トレやらなくてもいいかな~」と心の中で思っていた。

仕事服に着替えて、業務に移るが、何かムズムズする。

「お前何か忘れている事は無いか」と言われている様な感覚に襲われた。

始めた仕事を一旦中断し、筋トレを行った。

この時感じた。これが習慣の始まりなのだと。

 

 

 

面白半分で始めた筋トレだったが、実は現在までしっかり続いている。

この事実に、自分が一番驚いている。

筋トレをしない事が気持ち悪くなってしまったのだ。

仕事場だけで行っていたが、今では仕事から帰宅してもしっかり20回の腕立て伏せ。

さらに腹筋20回も追加。

体にも変化が現れてきて益々楽しい。

もう止める事が出来なくなった。

 

 

私の場合は筋トレだったが、皆さんにも習慣にしたいものがあると思う。

毎日嫌々でもとりあえずやってみる。

まずは回数は少なめでも良い。

軽めの内容でも続けてみること。

友達を誘って監視の目を設けてもいい。

しばらく続けると「今日は疲れたしやらなくてもいいかな」という気持ちが芽生えてくる。

しかし、やらない事が気持ち悪く感じる。

その時すでに習慣化に成功している。

 

 

習慣の力ってすごい。

そう感じた出来事でした。

口を開けば死にたいという奴は何なのか

「死にたい」という言葉が口癖になっている奴は一体どういうつもりで発言しているのだろう。

口を開けば「死にたい死にたい」

生きたくても生きれない人も大勢いる中でこの発言は余りにも軽すぎる。

本当に死にたいのならば誰かに言う間もそれを止める事も出来ず死んでしまっているはずなのにそれを何故他人に向けて発してしまうのか。

 

「死にたい」と言って、

「止めた方がいいよ」

「みんな悲しむよ」

と言ってほしいのだろうか。

 

人間だから気分の浮き沈みは勿論あると思うが、「死にたい」と言うばかりでなく、その根本的な原因を解決しなければ永久に自殺願望者のまま。

構って欲しさにそんな発言をしているのであれば、後に誰も見向きもしてくれなくなると思う。

親や友達から愛された経験が乏しいから、誰かに自分の事を注目して欲しいから

そういう言動に走ってしまうのならまずはその事実を自分で理解しないと始まらない。

 

自分の事ばかりでなく、そのやりとりを毎回やらされる側の気持ちも是非とも考えてくれ。

 

 

シンプリスト

2週間程前の事である。

暇があればはてなブログで書かれたブログを読む事にしているのだが、

シンプリストという面白い考え方に出会った。

最近、よくメディアでも取り上げられているミニマリストとは少し意味合いが違うらしく、

ミニマリストとは、無駄な物を全て排除して生活に必要最低限しか物を持たない人々のことで

シンプリストとは、必要最低限しか物を持たない訳ではないけど、ある程度削減して生活自体を単純化している人々のこと

(解釈が正しいかは知らない)

 

私は、本当に物が捨てられない性分で、小学生時代の教科書やプリントがいまだに実家の押し入れの中に眠っている。

当時、使っていたことを思い出してしまい捨てるに捨てられずまだ保管してある。というか捨てれないから保管という名前を借りて放置してあると言った方が適切だと思う。

さらに、「あ~これ今後どっかで使うかな~」みたいな思考もプラスして、何も物が捨てられない。

シンプリストの考え方に洗脳されている今のうちに捨ててしまうことにした。

 

まずは、現在住んでいる家から整理を始めた。

今まで目を逸らしていた紙の山を崩し、精査した。

あらゆるガラクタを捨てに捨てた。

物だけでは無く、データも処分した。

前の会社の人のLINEを含めた連絡先も全て削除しブロックした。

学生時代にこいつと何で連絡先交換したんだ?みたいな奴とか、今後一切連絡する予定の無い人も全て削除しブロックした。

知り合いかも?とか言う謎の人間達も邪魔くさいから全てブロックした。

 

そして次は、実家に向かった。

小・中・高時代の教科書、ノート、プリントが山積みになって置かれていた。

こんな物絶対将来読み返さないのにスペースだけ無駄に消費して勿体なかったな~って思った。

中身を見たら落書きばっかで少し笑った。

要不要を下してある程度は整理出来た。

また今日も実家に向かい整理することにする。

 

 

シンプリストという考え方に出会い、やっと物を捨てる決断が出来た。

そしてこれを通して私自身を俯瞰して思うのだが、物が整理出来ない人は、人間関係においても無駄な物も拾ってしまうのではないかと思った。

全ての出会う人間に対しても好かれようとして精神を疲弊させてしまう。

自分の人生の幸福とは全く必要の無い人間の思いまで拾ってしまうため、心がパンクする。

嫌いな人間や今後一切の関わりの無い人間に好かれるより、自分が好きな人間により好いてもらった方が良いはずなのに。

 

 

でも、物を捨てだしたら気持ち的にも何だか身軽になった気がする。

自分に本当に必要な物が自分自身で分かってきたという感覚が確かにある。

今までは周りに気を使い過ぎていた。

そんな感情も全て捨て去るようにしようと思う。

会社を辞めても意外と何とかなる

会社を退職し、早1か月が経った。

辞める前、元上司や先輩方から漏れなく「会社辞めたら絶対苦労するぞ」とか「後悔するぞ」とかごちゃごちゃ言われた。

しかし、後悔どころか毎日が滅茶苦茶清々しいし、転職先も無事に決まって辞めて良かったと思うし、こんな毎日が楽しいものに変わるのなら辞めたいと思った時にさっさと辞めてしまえば良かったかななんて思ってさえいる自分が居る。

今はこんな事言ってはいるが、正直、私自身辞める前はめちゃくちゃ悩んだ。

・転職先は見つかるだろうか

・生活がままならないのではないだろうか

・親や友達から辞める事に対して何か言われるんじゃないか

・世間から変な目で見られるのではないか

・お世話になった先生に対して恩を仇で返す行いになるのではないか

・進行中の業務を止めて引き継いでもらうため責任感が無いと思われたりしないか

色んな事を一人で考えて、会社を辞めるという旨を元上司に伝える前日までうだうだ悩んでいた。

でも、あんだけ時間を掛けて考えても結局何とかなった。

 

何かやろうとする時は必ず否定する者がいる。

それは他人であったり、自分自身の心であったり。

しかし、否定する者というのは挑戦しようとしている事をやったことが無かったり、考えたことが無かったり、そもそも挑戦する自体に恐れをなしている者である。

他人がどう答えたかなんてどうでもいい。

自分の心が良いと思ったことを素直にただ実行すれば、後々にどんな苦労があろうが、挫折しようが、自分の決めたことだから受け入れられる。

自分で進んできた道を受け入れるのを繰り返す事で、人間としての幅とか深みが受け入れた容量分膨らんでいくのだろうと思う。

自信が持てずに長い時間悩んでいたのはこうした経験がまだまだ浅く、様々な選択を他人に任せてきたことに原因があるのだろうなと自分自身を分析出来た。

こうしたいと思った事に自分で決めて自分の足で歩むと、成功・失敗関係無しに自身に向き合うことが出来、深く知ることが出来るということを学べた。

他人の道を歩むのでは無く、自己を見つめ、選び、決断し自分の道を歩めるようにしていきたい。

 

インスタ中毒者

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Instagram以下インスタが写真をメインとした新たなSNSとして流行して結構な月日が経ちましたが、

その勢いは留まる所を知らず。

数々のメディアで、「インスタ映えする観光地」等取り上げられているのをよく目にしますが、いかにインスタで他のユーザーからの反応を多く貰えるかという事に、年代問わず躍起になっているみたいですね。

他者からどう見られるか、という事は社会を生きる上でも重要な事だと思いますが、

それが行き過ぎるとまさにインスタ中毒者のように、他者からの評価の中でしか生きられなくなり、非常に危険だと思います。

観光地に行って写真を撮るのはおそらく誰しも行っている事だと思いますが、インスタ中毒者の場合、観光地等に行ってその地域独特の文化に触れたり、自然が生み出した景色を素晴らしいと感じたりということは二の次で、いかにインスタへアップすることでいいねの数であったり、コメントが多く付くかの方が大事な事になっているようです。

私たちは現実の世界で生きているのであって、SNSの中で生活しているわけではありません。

他者から良く思われたいから写真を撮るのでは無くて、自分が撮る対象物を良いと思ったかを写真を撮る基準にするべきではないかと私は思います。

緩い関係性を持てるSNSだからこその魅力も勿論あると思いますが、目的を間違うと他者からの評価が気になって気になって仕方が無くなり、「いいねが付いたか付いていないか」「閲覧数が今どのくらいなのか」ばかり考え、中毒者の道を歩み始めると思います。

インスタ映え自体は否定しませんが、自分が良い物を皆に知ってもらいたいというような基準で写真を公開する方がよほど健全ではないかと、ここ最近のインスタ関連の報道を見て感じましたとさ。

 

何かに追われている感がある

みなさんどうも、ココです。

現在、私は有休休暇の消化に入り、引っ越しの準備だったり本を読んだりして日々を過ごしています。

さて、私は今月いっぱいを持って嫌だった仕事を辞めることになったのですが、何かどうにも心が晴れないのです。

「やっと肉体的にも精神的にも苦しかった仕事と決別できる!!ヒャッホウ!!!」

なんて思う事になるだろうと踏んでいたのですが、いざ事が進んでみるとそこまでの嬉しさが感じられません。

どうしたことやら。。。

 

次の仕事がまだはっきりと決まっていない事から来る不安なのか。

また同じような仕事に就いてしまうのでは無いかという不安なのか。

何かは分からないのですが、何者かに追いかけられているようなそんな感覚です。

焦った所でなるようにしかならず事は何も変わらないし、逆に悪くなる一方だから、

ゆっくりと自分のペースで考える様に意識していこう。

 

ドット絵を始めてみた

みなさんどうも。

 

先週の土曜日に、ドット絵を描くことを始めてみました。

こんな感じです。

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自分で言うのもあれなんですが、初めての割には上手くいったのではないでしょうか。

慣れた人から見ればやり方が間違っていたり、この程度かとか思うかもしれないですが、

自分が良いと思えればまずはそれでいいです。

 

このドット絵、一体何なのかというと

私が好きなポケットモンスターに出てくる『コイル』というでんきタイプポケモンです。

ピカチュウを描けば誰でも分かるんでしょうが、あの子輪郭を描くのが難しい笑

ということで、コイルが一番好きというわけではなく、何か描きやすそうだったからこの子を選びました笑

 

やり方としては、EDGEというドット絵を描くためのツールをダウンロードし、

描きたいものを選ぶ。

まずは、描くものを下絵として黒色で縁だけを描く。

そこから塗りたい色をパレット上で赤緑青を混ぜて調整して塗っていくという形です。

塗りたい色と影の色と光が当たっている部分の色の3つを使って描いていっています。

他にもこんなのも描いてみました。

 

またまたポケモンの『スイクン

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ドラクエの『スライム』

画質があっらあっらですが

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描いてる時凄い楽しかったんで

時間ある時またちょくちょく描いていきたいと思います。