ココのブログ

自分の道を歩む。

若干のうつ病気味になってしまいました

会社での人間関係でのストレスが半端じゃなくなってきて、病院にも行ったりしてしのいでいたのですが、精神的に耐えられなくなり上司へ相談して「今週いっぱい休め」と指示を受けたのでお休みすることにしました。

今週休んだところで心の状態がどう変わるとか分からないですし、数日間で治るとは思えませんけど少しでも休む時間が貰えたのは本当にありがたいことだと思いました。

私自身最近なんか体の調子がおかしくて、気が付く限りの症状を挙げると

・寝つきが半端なく悪い

・寝れても途中で目が覚める(早朝覚醒

・気分が沈む(憂鬱とはまた別の感情で何に対しても億劫な気分になる)

・慢性的な頭痛

・出社前、仕事中急に涙が止まらなくなる

・仕事中に動悸がする

・胸の圧迫感

・喉の奥に何か詰まっている感じ

・運動したわけでもないのに息苦しい

・横隔膜が痙攣しているような感覚

・死にたいとまでは思わないが、重傷を負って何もしたくない状態を作り出したいと思う(車の運転中このままの勢いであの電柱ににぶつかれば、ケガ出来るかなあとか)

・家から出たくない

・食欲が全く無い

・何に対してもやる気が起きない

・誰とも関わりたくない、極力人の顔を見たくない

・吐き気

・今まで楽しいと思っていたことが全く楽しくなくなる

・笑いたくない

気が付いていないだけで他にも何かしら症状はあったかもしれませんが大体このくらいかなあと。

 

うつ病なんて自分がなるとは全く思って無くて、でも実際にそれに近い状態になってしまうと本当に感情が無くなったみたいで何にもしたくないというか、自分自身が今まで何のために頑張って生きてきたのかとかこのまま生き続ける意味があるのかとかずっと頭で考えこんじゃったりして。

日頃の愚痴とか友達に話してみるのもいいなんて言われました。

でも私の思いとしては、辛いけど同年代の人に話したところで、単なる共感しか得られないし、その根本的な原因が無くなるわけじゃないし相談しても意味が無いと思っていました。

だから、極力今まで関わってきた中で一番自分の思いを話したい、理解してくれそう、動いてくれそうだと思える上の立場の人間に話すのが一番だとこの気が狂った頭の状態で私なりに判断しました。

私が話した人は、今の上司では無くて私が新入社員の時に教育担当だった人でした。

今の部署とはほぼ関わりが無いような人でも、昔指導してもらった人に話しても今の上司にかけあってくれたり意外とするもんなんだなあと。

私の相談に対して、何があったとか辛い事を詳しく思い出させる事はしないで、ただ辛いという気持ちを汲み取ってくれて、20分くらいの短い話で私の気持ちを理解してくれて、すぐ今の私の上司の元へ電話して直接話に行ってくれたみたいです。

本当に感謝してもしきれない思いでいっぱいです。

 

そしてその上司も夜、ご飯に連れて行って下さって今の仕事が多すぎて辛いのかとか、人間関係なのかとか色々な面から気にかけて貰いました。

部署内での異動、違う部署への異動も視野に入れて検討してくれるらしく、一人で考えこまずにみんなで協力しようという言葉が嬉しくて堪りませんでした。

その上司の奥さんも実は、10年前からうつやパニック障害やら沢山の心の病気を患っていらっしゃたみたいで1日に睡眠薬や気分が沈まないようにする薬とか合計20錠も服用されているらしいです。

それで逆に「お前の状態に気づいてやれなくてごめんな」とまで言って下さりました。

 

 

今まで一人きりだと思っていたけど、話すと味方になってくれる人も少なからず居るという事が一番の勉強になりました。

こんな精神状態になってしまったけど、こういった気付きが出来て逆に良かったなと思いました。

体を売る仕事 心を売る仕事

性風俗業のような仕事をしている人を体売って収入を得ているなどと言われているのをよく目にする。

でも、私はこのような商売に限って体を売るという言葉が使われているのがどうも違うと思う。

どんな仕事においても体は売っていると私は思う。公務員でも、飲食業でも自分の体を動かして何かしらの生産活動をする事により、その対価として収入を得ているわけであって、性風俗業に限定して言われるのはおかしい。

では、どう言うのが適切かというと私は、心を売っていると思う。

例えば、公務員であれば安定した収入が欲しいという心、社会の役に立ちたいという心。飲食業であれば好きな食べ物を作って誰かの笑顔を見たいという心。

性風俗業に関して言えば、ただちに高収入を得たいという心、快楽を求めたい・与えたいという心がその個人の意思によって売られていると思う。

自分にしかないその心が純粋に楽しめる仕事を見つけたいものだ。

 

 

段取り術は料理から学べる

料理というものはまず何を作るかを考え、それに向かって必要な食材・道具・所要時間等を前もって考えて段取りしておく事が重要である。

 

行き当たりばったりでやっても上手く作れる簡単な料理もあるだろうが、それが通用しない事がほとんどである。

 

何かを煮込んでいる最中に、食材を切ったり。切ることに集中し過ぎては煮込みすぎになってしまったりする。

 

料理が完成してからも、適切なサイズの皿を何枚と何人分用意すれば足りるのか。

醤油やドレッシング等は必要か。

他にも色々あるが、作り始めから食後までの思考回数が多く、かつ同時進行で先の事を常に考えておかねばならないため、非常に脳のトレーニングに有効なのではと思う。

 

段取りする事が苦手な人は料理を始めてみて、常に先を読むトレーニングをしてみてはどうだろうか。

若手アニメーターの現状

若手アニメーター支援活動団体のNPO法人「若年層のアニメ制作者を応援する会」が、2月25日に若手アニメーター(10~30歳代のアニメーター経験年数3年以内)の生活実態調査アンケートを」公開した。

アンケート回答者の全体90%が非正社員、50%以上が「月給10万未満」、80%以上が「月給10万円未満」だったらしい。

 

 

アニメ創世記である第二次世界大戦前・戦後初期のアニメの制作は元々、スタッフが行う脚本・演出・原画・動画・彩色・背景・撮影等の作業を1つの制作会社のみで完結出来ていた。

これは、短編アニメが主流であったことと制作期間にも余裕があり、その会社だけで制作する事が可能だったからだ。

 

1963年に「鉄腕アトム」で本格的な長期アニメーションが制作されるようになることで、原画や彩色等を大量生産しなければならなくなり、1つの会社で制作することが困難となった。

これによって、1970年代以降、中国や韓国等の人件費が安い国へ外注を行うようになる。

日本アニメの動画のシェア率は2012年時点で「中国50%、韓国30%、国内20%」と国外に外注する割合が非常に高い。

日本では萌えアニメ等の影響もあってアニメに関心を寄せる人が増加し、それに伴いそういったアニメを作ってみたい人がアニメーターに憧れ、実際にアニメーターになる。

しかし、日本アニメ制作のほとんどが海外へ外注されているため、日本のアニメーターの需要と供給のバランスが崩れ低賃金の状態となっている。

 

 

いくらアニメが大好きで大好きでアニメーターになっても、1日15時間程度も働いていているにも関わらず、親から仕送りを貰ったり、副業としてバイトしたりしなければ生活が困難な状態なのは非常に大変であると思う。(年収100万程度)

現在、日本アニメは世界でもトップクラスの人気を誇っているが、アニメーターは低賃金というイメージが人々にさらに染み付いていくと、職に就く人が減り、日本アニメーター界は空洞化の一途をたどって行くだろう。

日本のアニメが廃れ、中国アニメ最高となるのも時間の問題かもしれない。

 

 

 

健常者は心の障害者

 

私の勤めている会社では、入社年数に応じて同期生のみが集められ業務に必要な教育を週に1回程度行っている。

様々な部署から同期生のみ招集が掛けられ、30人程度一斉に教育を受ける。

基本的な内容をテキストで講師から教わったり、部署ごとで起こった業務上のトラブル事例を持ち寄って各自発表し、それに対して同期からの質問や講師からの指導が入る。

大まかに言うと大体こんな中身だ。

 

 

その中で今日ふと感じたことがある。

同期生30人の中には、発達障害を持たれている方が一緒に教育を受けている。

名前をAさんとしよう。

 

Aさんも教育に来ている以上、発表しない訳にはいかない。

発表資料を古いファイルから見つけ出し、彼なりに考察し発表に臨んでいる。

しかし、Aさんが発表の出番という時になった瞬間

「クスクス」という小さな笑い声がどこからか聞こえてきた。

すると同時に彼が精一杯発表している前で彼に聞えない様小さな声で彼の事を馬鹿にするような会話が盛り上がっていた。

 

 

差別は良くないです。と誰しもが人前では口にするが実際問題こんな感じの健常者の障がい者に対する差別行為が平気で行われている。

ネット等では、匿名性なのを良いことに「しね」やら「ゴミ」やら心無い言葉が至る所に転がっている。

常に何かしらの上に立っておかないと気が済まないのだろう。優劣付けて自分が上である事を自分自身に認識させて自分の存在価値を見出しているのだろう。

下らない。弱い人間だなと思う。

 

 

こんな心無い言葉を平気で書き込み、思い続ける事は兵器だ。

健常者こそ心の障害者だ。

 

 

 

 


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最低3年はとかいう縛り

『最低3年は会社に勤めてみてそこでやっぱり違うなって思ったら辞めなさい。』

 

新卒で企業に就職したはいいものの、周りの皆が就職活動をしていたから、適当に受かりそうな所だったから、もしくはしっかりとした夢を持って企業に入った人。

しかし、仕事は上手くいかない。面白くない。会社辞めたい。

 

 

そう思ったのなら早く辞めた方が良い。

心の赴くままに体を動かせば良い。

人生は一度しか無い。

立ち止まっていたらあっという間に自分の有限な時間は過ぎ去っていく。

 

 

まだ辞めても無いのに辞めた後の事をうだうだ考えて時間を浪費する。

そういう自分が好ましく思っていない環境でのモヤモヤした悩みは延々と頭の中を渦巻き、決して晴れることは無い。

 

 

3年は〇〇とかいう、誰かが作ったルールに縛られないで。

自分がルール。

 

 

 

AI

ここ最近、テレビ等のニュースにおいてAIがどうだとかいう話を毎日必ず1回は耳にするようになった。

様々な企業がAIを用いた事業を展開しており、AI技術の発展によって世界がどのように便利になっていくのか。私は大変楽しみだと感じている。

 

 

しかし、そうは思わない人も大多数いるようだ。

AIの話題で一番よく聞くのは「AIの登場によって仕事が無くなる」という話。

 

米国の機械が奪う職業ランキングの中では、

1.小売店販売員

2.飲食カウンター接客、レジ打ち

3.タクシー、バス運転手 などが挙げられている。

他にも単純作業の繰り返しであったりするものは近い将来確実にAIが代替していくことになるだろう。

 

 

このランキングの中に含まれている職業で生計を立てている人は、危機感を覚え、仕事を取られてしまうということでAIをひどく嫌悪しており文句を垂れる人もいる。

その文句を言う暇があるなら、AIに代替される前に何か自分が食っていけるスキルを今のうちに身に着ければいいんじゃないのか。

文句ばかり言う人はいつも被害者面して泣き叫び、助けてくれと周囲に懇願する。

努力しない人間は淘汰されても仕様が無い。

 

 

視点を変えてAIを見てみたらどうだろうか。

産業革命以降、機械の登場により今まで一つ一つ手作りしていた物が大量生産できるようになり、少ない時間で効率的に多くの物を作れるようになった。

 

これからは、今まで人間が行っていた仕事をAIがやってくれる。

その分、人間はより自分の時間を自分らしく生きれる世の中になっていくんじゃないか。

嫌な仕事をする必要が無くなり、自分の好きな事が出来、

極論を言えば、無職でも楽しく生きれる世の中になるかもしれない。