ココのブログ

自分の道を歩む。

上下関係を無駄に重んじる奴ほどアホ

皆さんの周りにもいないだろうか。

後輩にはとことん偉ぶってるやつ。

言葉遣いから時間の厳しさ、その他事細かに自分の奴隷であるかのように命令し、下らない事で優越感を感じているアホ。

後輩が1分1秒でも遅れると、狂ったようにキレまくり、罵倒しまくる。

確かに時間に遅れる事は、人の時間を奪う事であり、怒られても仕様がない部分も大いにある。

しかし、今度は逆に先輩が遅刻すると「ああ、すまんすまん笑」だけ。

は?あんだけキレまくってたくせに自分はそんなかよ。土下座しろっていう気持ちが芽生える。

普通に1時間とか遅れたり、下手するとまだ寝ているなんて事もザラだったり。

それが、当たり前になり過ぎて謝りもしないなんて事も。

ただ、生まれるのがちょっと早かったくらいで偉そうにしないでほしいし、偉そうにするならそれなりの事を自分もやってからにしてほしい。

自分はやらない癖に人には強制するのは余りにもおかしい。

行き過ぎた事を強制してくるやつに限ってそいつは実質大した事ないという人が多い。

そういう奴は余り関わらないようにした方が良い。距離を置こう。

自分が違和感ない程度にまで遠ざけた所がその人との心の距離感。

無理に近づき過ぎて自分を知らず知らずに痛めないようにしよう。

 

働き方改革は弱い

電通の新入社員過労死自殺という事件が起こってから、国レベルで企業に対する残業時間や勤務方法等に関する内容について「働き方改革」という事で推し進められている。

今までこれが私の企業では当たり前なのだと見て見ぬ振りをしてきた働き方について全ての経営者や労働者が考え直さなければならない。

これまでに数々の施策を各企業が行なっているようだが、ほとんどの企業が表面的なものに過ぎないと思う。

外面は「働き方改革!これこれこういう施策を行います!」と上の地位の者がただ宣言しているだけで、施策を実行するかしないかはそれぞれの現場にお任せしますというのが実態なのだ。

こういう外面だけの宣言を立派にするところに限って人手が足りていなかったり、会社的に根の深い問題が潜んでいる。

例を挙げるとその中には、これから入るであろう新入社員へのアピールも含まれているだろう。

この会社は、こういう働き方改革をしているのか。なら入って仕事してみたい。と思わせ、実際は以前と何も変わらない過酷な労働環境のまま。

辞める人間も考慮して、数百人単位で採用し、出身地が遠かったり、メンタル的に仕事を辞められない人だけが必然的に会社へ残るようになり、駒となり働かされる事になる。

他にも問題として、サービス残業パワハラ等が挙げられるが、これらが常態化している企業にとっては各企業が行なっているような働き方改革は非常に弱い。

早急に制度化を進めなければ、多数の尊い命が老若男女問わず失われてしまう。

労働ごときで、人の命が奪われていいわけがない。

労働者全てが幸せになる改革となる事を心から願いたい。

 

 

 

 

 

睡眠は死後の世界と繋がってるんじゃないだろうか

なんか最近睡眠は死後の世界と繋がってるんじゃないだろうかと思うようになってきた。

眠る直前までは意識は確実にある。

眠り始めると意識が無くなる。

眠るたびに人は無意識に死んでいるのではないだろうか。

 

睡眠中の夢もまた死後の世界に深く通じていると思う。

そもそもなぜ人は、睡眠中に夢を見るのだろうか。

一般的には記憶の整理等、様々な仮説が立てられている。

私が思う睡眠中の夢は、恐らく、自分の死後の世界から見たこれから体験するであろう自分自身の体験を昔を思い出すように鑑賞しているのではないかと思う。

だから、正夢にもなったりするし、デジャブを感じたりもする。

死んだ人や、飼っていた動物にも夢の中で会ったりする事もある。

夢は死後の世界と繋がっているから会うことが出来るのではないだろうか。

 

また、現実ではあり得ない事も夢では起きる。

これは、死後の世界で自分自身が実際に体験している事をそのまま映し出しているのではないだろうか。

 

 と、入浴中にふと考えたのでした。

 

交通事故の件

皆さんお久しぶりです。

先月に交通事故を受けてからようやくひと段落着きましたので詳細を話そうかなと思います。

 

事故当日、T字の交差点で私が右折しようと思い信号待ちをしていました。

歩行者信号もチカチカと点滅し出して、そろそろ左右の信号が赤になり、こちらの信号が青になるな〜っと思いながら待っていました。

すると、そこで左側から右折車がものすごいスピードで右折してきて、かなりのスピードが出ているものですから曲がりきれずに片輪走行しながら私の車へ正面から突っ込んできました。

 

突っ込まれた時は、体自体何ともなくて、自分と相手を安全な場所に移動させたり、向こうの体調聞いて事故の処理をお互いに進めていきました。

事故の処理も難なく進んでいたその最中に、今まで普通に動いていた足から急に痛みが出てきて、終いには自力で歩けないくらいの痛みまでに発展してしまいました。

多分、アドレナリンがドッバドッバ出てたんでしょうね。

そこで、私は人身事故に切り替え、救急車でピーポーされ、入院することに。。。

 

事故られた時は、こっちも正直気が動転していて、相手側に対して文句の一つも考える余裕無かったんですけど、後から段々と怒りが湧き上がってきました。

 事故られた時は、相手が誰であろうと構わず言うべきだと思いました。

怪我で苦しんで動けない時に、どうして自分は何もしていないのに、こんな思いをしなければいけないんだという気持ちで悶々としてしまいます。

 

そのぶつかってきた相手は若い女で、軽自動車を運転していました。

初めての事故だったらしく、しかも加害者側だったので泣いて震えていました。

ふと見ると彼女が座っているシートにスマホが置いてありました。

多分、スマホ見ながら運転して曲がらなきゃって思ってハンドル切ったけどスピード出てて曲がりきれずに衝突したって事だろうなと推測しました。

警察の方に言ってもだめでしたが。

 

軽自動車って車重軽いし、なのに車自体縦長いものが多いのに、それで高速でカーブに進入してきたらそりゃ片輪浮きますわなって話ですよね。

それで、制御不能になって突っ込まれるっていう笑

怪我はするわ、車は壊されるわでとんだ災難でした。

 

そこで、私が今回のもらい事故での話の進め方、こうすれば良かった事を列記したいと思います。

 

①ぶつかられてすぐ痛みが無くても人身事故扱いにすること

交通事故が起きた場合、お互いの保険会社・警察へ連絡を必ずする事になります。

保険会社には、事故の場所(交差点とか車の通りが多い場所か等を聞かれる)、車の破損状態、レッカーの手配の有無等を話します。

警察には、場所を伝え到着した後に、事故の詳細を聞かれます。

ここで、物損事故扱いと人身事故扱いどちらにするかを聞かれます。

そこで、必ず人身事故扱いで処理を進めていきましょう。

ここで、物損事故にしていても後から人身事故扱いに変更する事は出来ますが、後から痛みはやって来るので自分の身体の事も考えて人身事故として処理した方が良いです。

 

②事故の現場を片っ端から写真に収めておく

まず、事故が起きた時、ぶつかった状況を片っ端から写真に収めておいた方が良いです。

被害者が何を言おうと証拠がない限りは、相手に対する処罰は警察の判断に委ねられる事になります。

私の場合、相手側がスマホ操作していたにも関わらず処罰が軽いものになってしまったようです。

相手の状態、車の状態等、写真に収めておく事をお勧めします。

 

③貰い事故の場合は、言いたいだけ文句を言っておく

これは個人の気持ちの問題になりますが、私の場合これをやっていなかった事で後から悶々とした気持ちが事故後ずっと残っていました。

相手が泣こうが喚こうが関係なしにやららたぶんだけの言葉の仕返しをしてやるべきです。

後から言っておけば良かったなと思ってももう遅いです。

こちらが入院するぐらいのケガを負わされても両者のトラブルを避けるために面会は基本しない事になっています。

加害者に会えるタイミングは事故した時しか無いため、後悔しないようにボロクソに言ってください。

 

他にもあったような気がしますが少し時間が経ってしまっているので何点か忘れてしまっています。また思い出したら書こうかなと思います。

 

今回たまたま私は交通事故の被害者になった訳で、加害者側になる事だって十分にあり得ます。

 運転年数による慣れやらで、横着な運転をしてこういった事故にならないように、日々の運転の仕方を改めて見直さなければならないと考えさせられた良い経験となりました。

 

皆さんも車を運転する時は、防衛運転で出掛けましょう。

 

車両で吹かしまくっている人達

現在、私の自宅の周辺は都会な感じでもなく、

かと言って街灯が無く、周りが一面、

田園風景の田舎の様でも無く、

車を少し走らせればスーパーもあるし、

書店もあるし、、

という感じの生活するには特に不便な無い場所に住んでいます。

でも、遊びの面ではそういった施設が無く、少し物足りないかな〜という感じです。

 

こういった生活には困らないが、遊びは物足りないという場所には、実は以前も住んでいたことがあります。

 

そういった場所の共通点として、

毎晩の様に、改造された車やバイク等でブンブン吹かしあげて徘徊する人達が居るように思います。

私も最近までは、東京等の都会の方が夜も眠れない程やかましいのでは無いのかと思っていました。

でも、意外と都会ってやかましくないんですね。

中途半端に都会な方が、こういう人達が多いみたいです。

 

夜中に徘徊する程に暇な人が都会に居ないのは、やはり、何事にも設備が充実しているのが関係しているように思います。

遊ぶ場所もしっかり整っていて、種類も多い。

こういった騒音行為を無くすためには、

警察の方々がパトロール等をしていただくなどして交通関係の対策を行う事も効果がある事だと思いますが、

それだけでは無く、その街の設備を増やして、暇な人を減らしていく事が根本的な解決に繋がるのでは無いかと感じました。

 

 

仕事が終わって自宅へ戻り、GWに実家から持って来た自分の幼少期時代のビデオを視聴しました。

んで、懐かし過ぎて即泣きました笑

意外と幼少期時代の事ってすっかり忘れてしまっているかと思っていたのですが、覚えてるもんなんですね。
こんな所、親に連れて行ってもらったりしたな〜とか、こんなおもちゃで遊んだな〜とかのその時の光景が今がまさにその当時かの如く鮮明に浮かんできました。

幼少期は本当にクソガキで親に迷惑ばかり掛けていたな〜なんてちょっと申し訳なさを感じたり、でも今思うとあんなにクソガキっぷり満載な私をここまで育ててくれたな〜とか考えたりしちゃって自然と涙がこぼれてきました。

たまには、幼少期時代等の昔のビデオだったり、写真だったりを見返して懐かしんで見るのも良いななんて思いました。

社会人になって実家を離れてしまうと、忙しさの意味でも距離的な意味でも、家族とのんびり過ごすって事も出来なくなってしまいますね。
私自身が最近痛感している事ではありますが、親のありがたみって実家にずっと居たら近過ぎて中々気付けないと思います。
初めて何かのきっかけで、親の元を離れて働いたり、勉強したりという機会があると、洗濯とか料理とか掃除とか家事とか働いてお金を稼ぐ事とか帰ったら誰かが帰りを待っていてくれる喜びとか、今まで当たり前のように感じて過ごして来た事が、こんなにも大事でとても幸せな事なんだなって気付く事が出来ます。

今度は、私が受け取った幸せを倍々にして返す事を目標にして生きていこうと思います。