最低3年はとかいう縛り
『最低3年は会社に勤めてみてそこでやっぱり違うなって思ったら辞めなさい。』
新卒で企業に就職したはいいものの、周りの皆が就職活動をしていたから、適当に受かりそうな所だったから、もしくはしっかりとした夢を持って企業に入った人。
しかし、仕事は上手くいかない。面白くない。会社辞めたい。
そう思ったのなら早く辞めた方が良い。
心の赴くままに体を動かせば良い。
人生は一度しか無い。
立ち止まっていたらあっという間に自分の有限な時間は過ぎ去っていく。
まだ辞めても無いのに辞めた後の事をうだうだ考えて時間を浪費する。
そういう自分が好ましく思っていない環境でのモヤモヤした悩みは延々と頭の中を渦巻き、決して晴れることは無い。
3年は〇〇とかいう、誰かが作ったルールに縛られないで。
自分がルール。
AI
ここ最近、テレビ等のニュースにおいてAIがどうだとかいう話を毎日必ず1回は耳にするようになった。
様々な企業がAIを用いた事業を展開しており、AI技術の発展によって世界がどのように便利になっていくのか。私は大変楽しみだと感じている。
しかし、そうは思わない人も大多数いるようだ。
AIの話題で一番よく聞くのは「AIの登場によって仕事が無くなる」という話。
米国の機械が奪う職業ランキングの中では、
1.小売店販売員
2.飲食カウンター接客、レジ打ち
3.タクシー、バス運転手 などが挙げられている。
他にも単純作業の繰り返しであったりするものは近い将来確実にAIが代替していくことになるだろう。
このランキングの中に含まれている職業で生計を立てている人は、危機感を覚え、仕事を取られてしまうということでAIをひどく嫌悪しており文句を垂れる人もいる。
その文句を言う暇があるなら、AIに代替される前に何か自分が食っていけるスキルを今のうちに身に着ければいいんじゃないのか。
文句ばかり言う人はいつも被害者面して泣き叫び、助けてくれと周囲に懇願する。
努力しない人間は淘汰されても仕様が無い。
視点を変えてAIを見てみたらどうだろうか。
産業革命以降、機械の登場により今まで一つ一つ手作りしていた物が大量生産できるようになり、少ない時間で効率的に多くの物を作れるようになった。
これからは、今まで人間が行っていた仕事をAIがやってくれる。
その分、人間はより自分の時間を自分らしく生きれる世の中になっていくんじゃないか。
嫌な仕事をする必要が無くなり、自分の好きな事が出来、
極論を言えば、無職でも楽しく生きれる世の中になるかもしれない。
自分の年齢に縛られる人達
女性は年齢に関して異常といっていいほど敏感すぎる。
初対面の女性に対して年齢を聞き出すのはタブーだという風潮があるし、わざわざ「失礼ですけど」などと言わなければならない礼儀みたいなものもある。
正直何をそこまで自分の年齢に対して恥ずかしがっているのか分からない。
何歳だろうが誰も何も思っていないし、何を勝手に気にしているのか。
いつから気にするようになるんだろう。
こういう人達はもしかすると自分に自信が無いのかなと私は思っている。
年齢の割には何かすごい事が出来るわけじゃないし。。とか思ったりしているのだろう。恐らく。
それとこれは男性にも言える事なのだが、
「もう歳だから。。」
と言って勝手に自分自身の限界を決めてしまうのは非常に勿体ないと思う。
まだやってもいないのに、壁を作らないでとにかくやってみれば良いのに。
こういうマイナスな考えを常にしている人は、どんどん心が老けていく。
心の老けは体の老けに繋がる。
80代とかでも未だに元気に体を動かしてランニングとかスポーツとかしている人がいい例だ。非常にパワーがある。
子供の頃は、誕生日と言ったら自分の中ですごい嬉しい事だったのではないだろうか。
親や知り合い、友達から誕生日プレゼントを貰い、みんなから祝ってもらい、毎年その日が待ち遠しかったはずだ。
体は大人でも、心は少年のままで居続けよう。
英語を学ぶ事の価値
先々週頃から人生を充実させるための自分自身の取り組みとして続けてやっている事がある。
それは、中国語を勉強すること。
なぜ、中国語なのか
これからより一層グローバルな社会になる事は間違いない。
世界で最も公用語とされているのも英語だ。
そういうのを踏まえて見た時に、英語を学習してもいいのだが、これから英語が出来る人の価値はどんどん下がっていくと思う。
英語はアメリカ等の国を初め、インド等の国々の人々も話すことが出来る。
日本でも小学校から本格的な英語を学習させようという動きがある。(もう取り入れられているのかな?)
この動きは他の国々でも同じ。
となると、英語が出来る人が世界中で溢れ、英語を話せるのが当たり前となり、英語を話す人の価値が下がる。
別に中国語にこだわる必要は無かったのだが、日本は漢字を使うし、ある程度理解しやすい言語だと思って学習を始めた。
単語は覚えれば読めるが、発音が日本語には無い発音の方法があるためここが一番難しい。
発音が違うだけで、相手を罵る意味にも変わってしまうものもあり非常にやっかいである。
かざすだけで翻訳出来るスマホアプリも登場したらしいが、まだまだ完璧に翻訳出来るものはもう少し後になるかなと思っている。
今後も諦めずに継続してみることにする。
音痴の治し方
どうも、ココです。
今日は音痴の治し方について話していきたいと思います。
私の趣味は、カラオケでよく一人カラオケ所謂ヒトカラへ行っていて、1日8時間ぐらいこもって歌っていることもあるくらい歌を歌うのが好きです。
でも元から歌う事が好きだった訳でなく、1年前くらいまでは有り得ないくらいの超絶音痴で歌う自体本当に嫌いでした。
会社の飲み会の2次会で職場の人達が居る前で歌ったのですが、「お前程の音痴は見たことが無い」と言われるくらいひどかったようで、正直直接言われたことに私自身音痴は自覚していたもののショックがでかく落ち込みました。
でも、このまま音痴と言われ続けるのも悔しいと思って、その次の休みの日に人生初のヒトカラへ行って練習して絶対歌上手くなってやるという心持ちで入店しました。
店員から「うわ、、この人ヒトカラだww友達居ないのかな」とか想像されるかもしれないとか思ったりしましたが、それよりも音痴を克服したいという思いが勝って、思いたいなら勝手に思っとけと強気で行ったのですがヒトカラ自体結構当たり前になってきているらしくヒトカラ料金という枠まであるほどで、特に何もなく部屋に通されました。
「あ、意外とすんなり入れる」と分かったのでそこから1年間週に1回は必ずヒトカラへ行くようにしました。
そして、ヒトカラ行きだして半年くらいの時だったか、友人にカラオケに誘われいつもヒトカラで歌ってる時のような感じで歌ったところ、、
「え!?お前そんなに歌上手かったけ?」と半年通い続けただけでそこまで言われるほどに。
よっぽどへたくそだったというのがよく分かりますね(笑)
ここから自分なりに歌がへたくそだった理由を考察してみたのですが、
原因①:声の出し方を知らなかった
原因②:自分は出来ないと思い込んでいた
原因③:マイクの使い方が悪かった
原因④:歌う時の体勢
かなあと思いました。
原因①:声の出し方を知らなかった
この中でも正直原因①が非常に大きいと私は思っています。
音痴の人は周りに比べて圧倒的に練習量が足りてないです。
だから、声の出し方が分からないからへたくそに聞こえてしまうのかなと思います。
最初は、地声でも音程取れなくても声が裏返ってもいいんです。一人だから誰も笑う人なんていません。好きな曲をひたすらに歌いまくって下さい。
原因②:自分は出来ないと思い込んでいた
今まで音痴と言われ続けてきた事で自分にすっかり自信が無くなっていました。
それで、自分の中に勝手に壁を築いて無理だと決めつけていました。
今、思い返すと歌なんて歌わなくても生きていけるしとか自分自身を納得させる訳の分からない言い訳を自分に言い聞かせて変わろうとしなかったのかなと思います。
原因③:マイクの使い方が悪かった
ヒトカラに行きだして1か月くらいの時にネットを使って調べた事なんですが、マイクが声を拾いやすい角度があるらしいのです。
一番最適な角度は口に対してマイクを90度にするのが一番拾いやすいらしいです。
原因④:歌う時の体勢
やっぱり立った時の方が、声をよく発せます。
最初は立って疲れたら座ってみたりして出来るだけ立った状態で歌うようにしてみたが良いと思います。
音痴だからと歌を好きになることを諦めている人、音痴は練習すれば必ず治せます。
とにかく継続して練習してみてほしいです。
バレンタイン粉砕デモについて
こんばんは、ココです。
今日は、2/14バレンタインデーですね。
バレンタインの由来としては、諸説あるが一般的な説として
紀元前27年から始まったローマ帝国の時代
当時、ローマでは、2/14は全ての神の女王 ユノの祝日で、翌2/15は豊年を祈願するルペルカリア祭の始まる日でもあった。
ローマ帝国皇帝 クラウディウス2世は恋人を故郷に残した状態で徴兵されている兵士がいると、兵士全体の士気が下がるとして婚姻することを禁止していた。
キリスト教の司祭のウァレンティヌス(バレンタイン)は、婚姻が禁止されたことに対し、悲しむ兵士たちのために皇帝に内密で結婚式を行っていた。
しかし、そのことが皇帝の耳に入り、皇帝はウァレンティヌスに対して結婚式を執り行う事を厳重に注意した。
それでも、ウァレンティヌスは兵士たちの為に結婚式を続けたため、これに激怒した皇帝は彼を処刑する。
この処刑された日が、2/14。彼は、翌2/15のルペルカリア祭に捧げる生贄となった。
これより2/14は恋人たちの日となったといわれている。
そんな中、今バレンタインは日本人の恋をしている人達にとっても欠かすことの出来ない重要なイベントとなっているわけだが、
それを良く思っていない者達もいるようだ。
渋谷にて「非モテ(モテないこと)」を自称する人々が集結し、「バレンタインデー粉砕」と叫び、デモ行進を行ったようだ。
参加者の中には、
「チョコの数で人の価値を決めるな」
「チョコ≠人の価値 チョコは糖分で愛ではない」
「リア充爆発しろ」等々。。。
このデモに参加した人達に言いたいのだが、
そんなデモに参加している間は、恋人はまず出来ないだろうし女友達すら出来ないにではないだろうか。
こんなデモに参加している人と誰が付き合いたいと思うだろうか。
「デモに参加してた人だ!きゃーかっこいい」なんて起こりえないだろう。
そんな事をしている暇があるのなら恋人を作るための努力を何かしらしたら良いのではないだろうか。
少しでも、ファッションについてとか勉強するとか、デモの時間に街コンに参加するとかいくらでも異性と繋がれるチャンスに飛びついた方が良いはずだ。
「出会いが無い」とかよく聞く言い訳の一つだが、恋人が作ることが出来ない単なる言い訳だよね
出会いが無いなんて絶対ありえない。先も述べたように、今では街コンや相席居酒屋、出会い系サイトやアプリでも異性と繋がれるチャンスはそこら中に転がっていると思う。
今じゃSNSやブログ等で意気投合し付き合って結婚してしまうようなカップルだっている。
出会い方を周りに批判されるのが嫌な人は一生付き合わないほうが良い。
本当に好きなら、周りの目や意見など関係無しにその人を心から愛せると思う。
人を批判して楽しむ人より、自分の好きな事をして楽しんで欲しい。
やりたいことを考える
こんばんわ!
おとといのボルダリングの筋肉痛が未だに続いています(笑)
先週決意した毎週何かしら新しい事をやるという目標を立てたわけですが、
毎日毎日仕事を終わったら何しようかなーと昼休みとか仕事のトイレタイム等の隙間時間に考えてましたが、
この少しの時間があるだけで活力がすごい湧いてくるのが分かります。
すごい大きな夢ってものじゃないですけど、こういう小さな目標から始めていくことが夢への第一歩なのかなーって思ったりもします。
何もない自分に少しづつ好きな事、やってみたい事、得意な事とかを増やしていき
人生を少しでも充実させるためにこれから頑張ろう。