ココのブログ

自分の道を歩む。

交通事故の件

皆さんお久しぶりです。

先月に交通事故を受けてからようやくひと段落着きましたので詳細を話そうかなと思います。

 

事故当日、T字の交差点で私が右折しようと思い信号待ちをしていました。

歩行者信号もチカチカと点滅し出して、そろそろ左右の信号が赤になり、こちらの信号が青になるな〜っと思いながら待っていました。

すると、そこで左側から右折車がものすごいスピードで右折してきて、かなりのスピードが出ているものですから曲がりきれずに片輪走行しながら私の車へ正面から突っ込んできました。

 

突っ込まれた時は、体自体何ともなくて、自分と相手を安全な場所に移動させたり、向こうの体調聞いて事故の処理をお互いに進めていきました。

事故の処理も難なく進んでいたその最中に、今まで普通に動いていた足から急に痛みが出てきて、終いには自力で歩けないくらいの痛みまでに発展してしまいました。

多分、アドレナリンがドッバドッバ出てたんでしょうね。

そこで、私は人身事故に切り替え、救急車でピーポーされ、入院することに。。。

 

事故られた時は、こっちも正直気が動転していて、相手側に対して文句の一つも考える余裕無かったんですけど、後から段々と怒りが湧き上がってきました。

 事故られた時は、相手が誰であろうと構わず言うべきだと思いました。

怪我で苦しんで動けない時に、どうして自分は何もしていないのに、こんな思いをしなければいけないんだという気持ちで悶々としてしまいます。

 

そのぶつかってきた相手は若い女で、軽自動車を運転していました。

初めての事故だったらしく、しかも加害者側だったので泣いて震えていました。

ふと見ると彼女が座っているシートにスマホが置いてありました。

多分、スマホ見ながら運転して曲がらなきゃって思ってハンドル切ったけどスピード出てて曲がりきれずに衝突したって事だろうなと推測しました。

警察の方に言ってもだめでしたが。

 

軽自動車って車重軽いし、なのに車自体縦長いものが多いのに、それで高速でカーブに進入してきたらそりゃ片輪浮きますわなって話ですよね。

それで、制御不能になって突っ込まれるっていう笑

怪我はするわ、車は壊されるわでとんだ災難でした。

 

そこで、私が今回のもらい事故での話の進め方、こうすれば良かった事を列記したいと思います。

 

①ぶつかられてすぐ痛みが無くても人身事故扱いにすること

交通事故が起きた場合、お互いの保険会社・警察へ連絡を必ずする事になります。

保険会社には、事故の場所(交差点とか車の通りが多い場所か等を聞かれる)、車の破損状態、レッカーの手配の有無等を話します。

警察には、場所を伝え到着した後に、事故の詳細を聞かれます。

ここで、物損事故扱いと人身事故扱いどちらにするかを聞かれます。

そこで、必ず人身事故扱いで処理を進めていきましょう。

ここで、物損事故にしていても後から人身事故扱いに変更する事は出来ますが、後から痛みはやって来るので自分の身体の事も考えて人身事故として処理した方が良いです。

 

②事故の現場を片っ端から写真に収めておく

まず、事故が起きた時、ぶつかった状況を片っ端から写真に収めておいた方が良いです。

被害者が何を言おうと証拠がない限りは、相手に対する処罰は警察の判断に委ねられる事になります。

私の場合、相手側がスマホ操作していたにも関わらず処罰が軽いものになってしまったようです。

相手の状態、車の状態等、写真に収めておく事をお勧めします。

 

③貰い事故の場合は、言いたいだけ文句を言っておく

これは個人の気持ちの問題になりますが、私の場合これをやっていなかった事で後から悶々とした気持ちが事故後ずっと残っていました。

相手が泣こうが喚こうが関係なしにやららたぶんだけの言葉の仕返しをしてやるべきです。

後から言っておけば良かったなと思ってももう遅いです。

こちらが入院するぐらいのケガを負わされても両者のトラブルを避けるために面会は基本しない事になっています。

加害者に会えるタイミングは事故した時しか無いため、後悔しないようにボロクソに言ってください。

 

他にもあったような気がしますが少し時間が経ってしまっているので何点か忘れてしまっています。また思い出したら書こうかなと思います。

 

今回たまたま私は交通事故の被害者になった訳で、加害者側になる事だって十分にあり得ます。

 運転年数による慣れやらで、横着な運転をしてこういった事故にならないように、日々の運転の仕方を改めて見直さなければならないと考えさせられた良い経験となりました。

 

皆さんも車を運転する時は、防衛運転で出掛けましょう。

 

車両で吹かしまくっている人達

現在、私の自宅の周辺は都会な感じでもなく、

かと言って街灯が無く、周りが一面、

田園風景の田舎の様でも無く、

車を少し走らせればスーパーもあるし、

書店もあるし、、

という感じの生活するには特に不便な無い場所に住んでいます。

でも、遊びの面ではそういった施設が無く、少し物足りないかな〜という感じです。

 

こういった生活には困らないが、遊びは物足りないという場所には、実は以前も住んでいたことがあります。

 

そういった場所の共通点として、

毎晩の様に、改造された車やバイク等でブンブン吹かしあげて徘徊する人達が居るように思います。

私も最近までは、東京等の都会の方が夜も眠れない程やかましいのでは無いのかと思っていました。

でも、意外と都会ってやかましくないんですね。

中途半端に都会な方が、こういう人達が多いみたいです。

 

夜中に徘徊する程に暇な人が都会に居ないのは、やはり、何事にも設備が充実しているのが関係しているように思います。

遊ぶ場所もしっかり整っていて、種類も多い。

こういった騒音行為を無くすためには、

警察の方々がパトロール等をしていただくなどして交通関係の対策を行う事も効果がある事だと思いますが、

それだけでは無く、その街の設備を増やして、暇な人を減らしていく事が根本的な解決に繋がるのでは無いかと感じました。

 

 

仕事が終わって自宅へ戻り、GWに実家から持って来た自分の幼少期時代のビデオを視聴しました。

んで、懐かし過ぎて即泣きました笑

意外と幼少期時代の事ってすっかり忘れてしまっているかと思っていたのですが、覚えてるもんなんですね。
こんな所、親に連れて行ってもらったりしたな〜とか、こんなおもちゃで遊んだな〜とかのその時の光景が今がまさにその当時かの如く鮮明に浮かんできました。

幼少期は本当にクソガキで親に迷惑ばかり掛けていたな〜なんてちょっと申し訳なさを感じたり、でも今思うとあんなにクソガキっぷり満載な私をここまで育ててくれたな〜とか考えたりしちゃって自然と涙がこぼれてきました。

たまには、幼少期時代等の昔のビデオだったり、写真だったりを見返して懐かしんで見るのも良いななんて思いました。

社会人になって実家を離れてしまうと、忙しさの意味でも距離的な意味でも、家族とのんびり過ごすって事も出来なくなってしまいますね。
私自身が最近痛感している事ではありますが、親のありがたみって実家にずっと居たら近過ぎて中々気付けないと思います。
初めて何かのきっかけで、親の元を離れて働いたり、勉強したりという機会があると、洗濯とか料理とか掃除とか家事とか働いてお金を稼ぐ事とか帰ったら誰かが帰りを待っていてくれる喜びとか、今まで当たり前のように感じて過ごして来た事が、こんなにも大事でとても幸せな事なんだなって気付く事が出来ます。

今度は、私が受け取った幸せを倍々にして返す事を目標にして生きていこうと思います。

腸から炎

4/25より久しぶりに38℃の発熱を起こしまして、お腹もズキズキと痛んで吐き気もあり、なんじゃらほいと思って内科へ向かい診察してもらったところ、腸炎と診断されてしまいました!

腸炎なんて私の人生の中で1度も発症した事が無く、この病気の辛さが身にしみて分かりました。

朝は比較的元気なのですが、日が落ちるに従って体温の上昇と腹痛が強くなり始め、段々と体調が悪化していき、床につく頃には先の症状に加え、吐き気と寒気と尋常じゃない位の汗がしたたり落ちてきてさすがに死んでしまうんじゃないかと思ってしまいました(笑)

腸炎ノロウイルス等からくる「ウィルス性胃腸炎」とストレスや疲れからくる「ストレス性胃腸炎」があるみたいで、
先週末私事の一大イベントがあり二泊三日で東京の方へ出向いていまして、新幹線での往復、余りの人の多さ、さらにそのイベントで疲弊してしまったのでは無いかと推測しました。
自分が疲れていないと思っていても、多分それは自分が勝手に思っているだけで体は悲鳴をあげているんだなあと思いました。
近頃は睡眠時間を削って自己啓発に努めていたのが、いつの間にか自殺になっていたみたいです。
早めに気付けて良かったです。
やっぱり睡眠は大事ですね。

自分で友達を選ぶ

ある程度人間関係が構築された場所に、飛び入りで入った時等によく耳にする言葉があります。
例えば、「あの○○って人、すごい変な人だから近付かない方がいいよ」みたいな感じの言葉です。
向こうからすると、こちらの損得を考えての発言で、さぞ立派な人助けをしたつもりなのでしょうが正直うるさい黙ってろと思ってます。
また、その言葉を鵜呑みにしてその人を避ける様な態度を取る人も気持ち悪いと思ってます。

私は自分の友達くらい自分で決めれます。
あなた自分の友達くらい自分で決めたらどうですか?

自分でその人と真っ向から向き合ってみて、その人の事が分かった上で好きになるも嫌いになるもその人次第だと思います。

でも、人から「○○だから」って言われて何も考えずに従っていたらそんなつまらない人生無いと思います。
人生って自分自身の力で色んな事を考えて、悩みに悩み抜いた上で選択して切り開いて行くものなんじゃないですか?
だからこそ、生きてるって実感があって楽しいって思えるんじゃないですか?
他人に従うだけの人生ならいっその事、ロボットにでもなればいいじゃんって思うわけです。

その集団で嫌われている人が、自分は全然そんな事思えなくてって事もあっても良いと思います。
てかむしろ、無いとおかしいし、嫌ってるって人でさえ、周りに便乗してるだけの弱虫ちゃんが紛れ込んでいるはずなんですよね。
そして、「あの人を嫌いにならないと私もこの人達から嫌われちゃう」なんて思っちゃう事もあると思います。
私なんかは別に嫌われて良くね?と思うわけです。
私がその集団の中で嫌われているという人と向き合ってみて好きだと感じた。
なら、私は私自身が導き出した答えをただ信じるだけです。
それで、その集団から私が嫌われる事になろうが、そんな事で私を嫌う奴なんかは最初から友達なんかじゃなくてただの喋るゴミクズだったってだけなんですよね。
ゴミに嫌われても所詮ゴミだし、それ以上でもそれ以下でも無い。

だから、友達くらいは自分で決めましょうよ。
自分の気持ちを大事にして。
そうすれば、いつか必ず、
かけがえのない宝者に出逢えると思います。

夢を応援してやるのが友達

実は私にはとても応援してあげたい人が1人居ます。
その人は、高校時代からの友人で、卒業後に大手医療メーカーへ就職をしました。
しかし、とある事情により勤務1年で会社を自ら進んで退職しました。
退職する前に、これこれこういう理由で会社を辞めたいのだと友人やお世話になった学校の先生に相談しに行ったそうです。
相談を思い切ってしたのは言いものの、返ってきた言葉は「出来るわけがない。もう少し頭を冷やして考えろ。」という内容のものばかりだったそうです。
でも、彼はそんな言葉を跳ね除け、退職の道を選んだのです。

では、彼をそこまで動かしたその事情というのは一体何なのか。
それは、彼自身の夢を追うためです。
彼がまだ会社へ務めていた頃、カラオケにどっぷりハマり1人で1日カラオケボックスにこもりっきりになるほど好きになったらしいです。
しばらくすると、メトロノームマイマイクまでも揃え、いつからか彼は『ミュージシャンになりたい』という事を考え、それを夢とし、歩み出したのです。

この内容を彼から直接聞いたり、噂で知った人達が必ず最初に発する言葉は先にも述べた通り否定の言葉でした。
「叶うわけが無い。現実を見ろ。」などなど。

これを聞いて私は、これを言っている奴らは彼の本当の友達じゃないと私は思いました。
本当の友達ならば、夢を応援してあげるべきだと私は思います。
否定の言葉は、親や教師やその他の大人達がこちらがお願いしなくとも耳にタコが出来るくらい言ってくるし、その役目は夢を捨てた腐敗人に任せればいい。
否定の言葉で始める奴らは、自分自身が出来ないと勝手に思い込んでいて、その下らない理論を友達にも覆い被せて未来を潰そうとする悪魔だ。
アドバイスなんかして、偉そうにすんな。何もやれもしない癖に。口だけは達者なんだな。と思う。

プロのミュージシャンになる道は本当に狭き門だという事も彼も重々承知している。
それでも彼は、それを振り切って自分で夢を追いたいと思い、行動した。
そして、最初は彼1人きりだったけど次第に仲間も増え、バンドを組み、近々ライブをする事が決定したらしい。
小さいながらも偉大なる一歩を踏み出した。
そんな夢の為に生き始めた彼を私は心から応援したい。